ME心理学

ME心理学は、“こころ”を学び、意識の扱い方を知り、脳を鍛える方法です。あなたの「そのままの“こころ”を、ありのまま扱う」ということをサポートします。

“こころ”はブラックボックスである。だから、“こころ”は自分で扱うしかありません。

人生や生活の質(QOL)の向上、ストレス軽減や仕事の効果性を上げるために、認知行動療法やイメージ療法、人間関係の心理学、心理分析などを学ぶのは役に立つでしょう。

しかし、そもそも科学で扱われているのは“あなたのこころ”ではありません。“こころ”はまだ科学ではその存在さえも分かっていません。フロイトやユングやアドラーが“こころ”をどのように定義し、どのようなことを言ったとしても、あなたの“こころ”にそのまま当てはめることができるかどうかは分かりません。もしかすると、あなたの信じている“こころ”はあなたにしかないかもしれません。他の人にも同じような“こころ”があるかどうかは分かりません…それくらいあなたの“こころ”は謎だらけで、誰も見た人はいないのです。

あなたの“こころ”はブラックボックスなので、それを扱うならブラックボックスのまま扱う必要があります。なので、多くの脳や心理学の研究を参考にしてもいいのですが、あなた自身があなたの“こころ”を直に観察し、特徴を捉え、扱い方を研究するしかありません。

もし、何かの理論にしたがって分析を始めれば、その理論で類型された成分を抽出することはできるかもしれません。しかし、成分が抽出されたからといっても、それはあなたの“こころ”そのものではないのです。

海水には塩があるというのはどこの海でもだいたい同じでしょうが、抽出された塩がその海そのものを表したりはしていません。それは、水道水に塩を入れて、そこの海と塩分濃度が同じだからと言って、そこの海であると言うぐらい乱暴なことです。

MEというのは『Mind Essence』の略で、『心の本質』という意味です。これはシンプルな“気づき”の意識を表しています。みんなの“こころ”でも誰かの“こころ”でもない、あなたの“こころ”のことです。問うべき部分はここです。そして、あなたが一生付き合っていくのはこれなのです。このシンプルな“気づき”の意識を通して、自分を観察すると、そこにあるのは一つの“現象”に過ぎないと気づくことができます。宮沢賢治が表現している「わたくしといふ現象は…」ということです。常に変化しているという現象なのです。この現象を生み出している仕組みなど人にわかるかどうか不明です。科学で扱えるのかどうかも不明です。とても哲学的なテーマとなるでしょう。全く“こころ”というのはブラックボックスです。

なので、“こころ”はブラックボックスなんだということを受け入れて、自分のブラックボックスに手を入れてみる準備ができたなら、ME心理学はとてもよい道具を提供することができるでしょう。

“こころ”とは何か?

メンタルケアやメンタルタフネスという言葉を聞いたことがある人でも、メンタルとは何かを知っている人は少ないでしょう。

メンタル[mental]とは知能や精神や心という意味であって、医学的には脳の働きや認知能力のことを言います。だから「心は脳である」と結論付けるのは少々乱暴です。

認知する主体である“わたし”というのと、“わたし”の体の位置というのは普通の人は一致しているので気にもしないでしょうが、脳の働きに異常が起こると“わたし”が自分の体から抜け出たように感じることがあります。一般に幽体離脱と呼ばれている現象です。これは、認知する主体である“わたし”と、認知された自分の体というものは違うということを表しています。

また、意識がもうろうとしていようが夢の中だろうが、常に“わたし”はここにいて、この主体は何にも影響されません。

MRIで脳の中を探しても“わたし”を見つけることはまだできていません。

“こころ”が脳と密接な関係を持っていると捉える研究結果が出たとしても、それは“こころ”の一部をつまんだにすぎないでしょう。脳科学と心理学だけでは“こころ”をみつけることはできないかもしれません。

でも、科学で解き明かされなくてもあなたは“こころ”があることを知っています。他人と比べてみるのもいいでしょうが、自分で直接観察して、実験して、扱い方を学ぶこともできます。そして、“こころ”とは何かをあなた自身が知るのに最も近い方法は、あなたの“こころ”に尋ねることなのです。これは唯一確かな事実です。

ちなみに、メンタルタフネスというのは“こころ”の強さのことですが、そもそも“こころ”はブラックボックスなので、ここでは脳の力と表現した方が正確かもしれません。メンタルが弱い人よりメンタルが強い人の方が生きやすいでしょう。しかし、その強さというのは堅さではなく柔軟さのことです。良いか悪いかということではなく、ただ「生きやすいかもしれない」ということぐらいです。